ビジネスの先生に言われるがまま、YouTubeの世界に足を突っ込んで1年9ヶ月。
最初に運営したチャンネルも、先生に言われるがままで自分で選んだわけではありません。
そんなチャンネルをこのたび、終了することにしました。
その時に感じた色々なことを備忘録とした残します。
チャンネル運営終了の理由
運営期間は約1年9ヶ月、チャンネル登録者数は4万人以上。
最高月収は89万円でした。
そんなチャンネルを終了するに至った理由、ズバリ言いますと
儲からないから
これなんですよね、結局のところ。
最高月収89万円と言いましたが、この89万円すべてが私の手元に入ってくるわけではありません。
この時のリアルな経費は50万円以上。
差し引いて39万円です。
十分じゃない?と思われると思いますが、これは「最高月収」なんです。
この他の月がどうだったかというと、1-2万みたいな時もあります。
チャンネル登録者数が4万人もいても、です。
そして、このチャンネル、めちゃくちゃ手間がかかるんです。
他のビジネスを何も挟めないほど、ずっとこのチャンネル1つに時間を費やすことになり、それで一ヶ月頑張って1万円みたいな時もあるんですね。
時給換算したらいくらだろう?100円?みたいな時もあります(^_^;)
だからこそ、先生からはもう何ヶ月も前から「辞めて違うチャンネルやりましょう!」と、そう言われてきました。
コスパが悪い、労働と収益が見合ってない、そのことは私自身がよくわかっていました。
時間を取られすぎて他のことができなくなっている状況は誰よりも実感していましたから。
でも辞める決断がなかなかできませんでした。
その理由はたったひとつ
思い入れが強い大好きなチャンネルだったから
です。
辞められなかった理由
明らかにコスパが悪くて、労働力と収益が見合ってない、にも関わらずずっと続けていた理由、それは
思い入れが強い大好きなチャンネルだったから
なんです。
もともと私はこのチャンネルを好きで始めたわけでもないし、最初は何の思い入れもありませんでした。
ですが、本当に右も左もわからない状態から初めて、クリエイターさんたちとのたくさんの出会いと別れがある中で、チャンネル開設当初からずっと残ってくださっている方というのが、少なからずいるんです。
こんなやっすい単価でお仕事依頼しちゃっていいの!?というところからスタートし、めちゃくちゃ文句を言われたこともあります。
「そんなに気に入らないなら辞めてもらってかまいません!!」と言ったクリエイターさんもいます。
でもそんな方も最後まで残ってくださってたりします。
そういう、かけがえのない出会いを失いたくなかった、というのがチャンネルを辞められなかった一番の理由です。
正直、視聴者さんのこととかあまり考えてないです(^_^;)
単純に私が寂しかった、悲しかった、それだけです。
持っている話
実は少し前から、「タイミングが良い」と感じる出来事が続いています。
詳しくは書けませんが、迷っていたら先方から申し出があって、結果悩まなくて良くなった、みたいなことが立て続けに起こりました。
私、持ってるのかも…
なーんて感じていたりしました。
今回、チャンネルを終了するとなった時も、実は偶然にも私が終了のお知らせをする直前、3人のクリエイターさんから「今月末でお仕事辞めたい」という申し出があったんです。
理由はそれぞれでした。
家庭の事情やお仕事の事情など。
そもそも、単価契約の外注さんというのは、お互いにいつ辞めても良いわけで、こういう話自体は珍しくもなんともありません。
ですが、ここ数ヶ月、全くなかったんです。
いわゆる「安定」した状態で、外注さんの出入りが全然なく、チャンネル運営者としてはとても落ち着いた良い環境を保っていました。
それが、このタイミングで3人です。
奇しくも、チャンネル運営の終了をお知らせしなければと思っていたタイミングでの申し出だったので、お互いに気を遣わずにお仕事を終了させることができました。
これがもしも、まだまだ終了する予定なんてないような時期に一気に3人だったら、下手したら詰んでます(^_^;)
私、持ってるなーなんて感じました。
要は考え方次第なんですけどね。
前を向いて進む
大好きだったチャンネルを終了したら、ぽっかり穴があいたみたいになるかもしれません。
でも、どうなるのかちょっと楽しみにしている自分もいます。
全身全霊でやっていたので、このチャンネル運営で円形脱毛症になったり、胃炎になったり色々ありました。
初めてのチャンネルが大変だったので、この後のチャンネルは楽ちんかもしれませんね。
とても寂しいですが、何かが終わる時は何かが始まる時でもあります。
終わっただけで止まったらもったいないです。
終わると同時に新しいことを始めないといけません。
唯一言えるのは、どんなチャンネルをやることになったとしても、やっぱり自分自身が大好きでありたいなということです。